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〜スバエクの発祥と歴史〜

謎の多い、スバエクの発祥
大型影絵芝居の「スバエク・トム」は、現在のシエムリアップ州が発祥地だとされています。けれども、その歴史についてはまだ謎の多いままです。

 シエムリアップ州は、9世紀から12世紀に東南アジアで最も力を誇っていたアンコール王朝が王都を構えた場所で、アンコールワットを始めとする高度な建築技術を用いた石造寺院が数多く作られた地域です。この時代に踊りや芝居などさまざまな芸能が発達し、今日見ることのできる「伝統芸能」となっているのだと考えられています。スバエクもこの時代に生まれたとする説もあり、それだけでなく、舞踊や仮面劇などの古典芸能の原形となった、もっとも古い形の芸能であるとさえいわれることもあります。
 けれども、カンボジアでの影絵芝居の歴史を明らかにする資料は、まだ見つかっていません。碑文にも寺院の浮き彫りにもスバエクを演じたという記述や描写が見られないことや、その時代にはまだ韻文詩や散文詩が作られていなかったことなどからすると、そんなに昔からほんとうにあったのだろうか?と疑問も湧いてきます。
 影絵芝居の原形となる原始的な芸能が大昔からあり、それが交易や戦争を通して他の国と関わる中で変化し洗練され、詩がつけられ・・時間をかけて現在の形になったのかもしれません。ちなみに、お隣りのタイには、スバエク・トムとそっくりな「ナン・ヤイ」という大型影絵芝居があります。
 スバエク・トーイについても、カンボジアでの発生時期は明らかではありません。この小型の影絵芝居に似た形態のものは、タイの「ナン・タルン」やジャワの「ワヤン」のように東南アジアの他の国々に多く見られます。
 カンボジアを含め、東南アジアの影絵芝居はみな、インド文化の影響を受けて作られています。
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(つづき)
内戦前、内戦後のスバエク

現代〜内戦前、内戦後のスバエク
 1960年代末から始まった内戦で、人びとは自分の身を守ることで精一杯となり、祭りや芸能を楽しむ余裕はなくなりました。シエムリアップにあった150体以上の影絵人形は、戦乱の中ですべて消失してしまいました。シエムリアップの一座は、その後25年以上、人形を手にすることはありませんでした。

 スバエク・トムは、近代においてはシエムリアップ州と、トンレサープ湖を挟んで西側にあるバッタンバン州で伝承されてきました。
 カンボジアの人々にとって、フランス植民地時代(1863−1954)の後半からシアヌークを元首としたサンクム時代(1955 - 1969)の間が、いくらかでも穏やかに生活できた時期だったようです。この時期には、スバエクの上演も盛んに行われていました。植民地にされていたとはいえ、フランス人のカンボジアの文化に対する興味が、伝統芸能の維持と発展を助けた部分もあったのではないかと思われます。人々の生活の中で、季節ごとの祭りや仏教行事は重きをもって行われ、祭事に際しては芝居や踊りの一座を招くことが好まれました。特にスバエク・トムは、高僧が亡くなった後の法事など大がかりな行事のときに何夜も連続して演じられていました。一方スバエク・トーイも規模の小さい祭りに頻繁に演じられていたといいます。
 しかしその後、王制の廃止を強行した1970年のクーデターに始まる内戦と、1975年から79年までにクメール・ルージュと呼ばれる極端な共産主義者集団が行った社会構造の変革と大量虐殺のために、シエムリアップ州でのスバエク・トムの伝統はいったん完全に断ち切られてしまいました。人形も、語りを記した資料もすっかり失われ、有能な遣い手の何人かも内戦の中で亡くなってしまったからです。バッタンバン州のスバエク・トムも、原因は不明ですがフランス植民地時代に消滅していました。
 内戦が終息したのちは、経済的にも人材的にも一座を再興する手立てはなく、長い年月スバエク・トムは休眠の状態に入っていました。

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